piccadillyにて

この3ヶ月強を思い出そう…
と思ったらここに残してるもの以外のノートも特別なくて、
外に出したものは友人の帰国と一緒に離れていってしまった気もして、
焦ってそわそわしてあっというまに週末になってしまった.
そんでまたいつもと同じカフェのソファに座ってる.


でも少し思い出せた.
まにあった.


はじめのころ焦ってた.
手にいれないといけないものがいくつかあって、
ちゃんとそこに行き着くか、
手にいれれなかったときこれまでのチョイスをどう評価して、これからのチョイスにどう影響がでるか.
steve jobsのconnecting dotsの話を聞いて深くうなずいて、
友人の”未来のリスクは小さく見積もる”て言葉にはげまされて、
今を精一杯にやるしかない、
なんて思ってたのは
いつやろう…


気付いたらここでの滞在も残り少なくなってて、
でも今ちゃんと自分をつかまえてるような気がする.


日本で私の生活を占領してたものはここにはほとんどない.
親や相方さんも大好きな友人たちも、
仕事もないし英語以外の学び場もない.
TVも携帯も本屋も映画館もない.
ここじゃ春から夏に変わったりもしないし、
夏から秋に変わったりもしなくて、
冬なんてくるはずがない.
でも気持ちいい風が吹いてたら、今日はいいね、って誰ががいうし、
空が暗いと、雨がくるね、って教えてくれる.
スーツ着てネクタイしめて行くのは同じコンドのインド人3人組以外に普段見ないし、
エスカレータで右に寄る必要もない.


焦りの要素になるものもなくて、言い訳の材料になるものもなくて、だから、
ただ笑ったり、痛かったり、面白いと思ったり、痒いと思ったり、
嫌って思ったり、好きって思ったり、幸せって感じたりする自分は一番シンプルなところの自分な気がして、
何も説明する必要がない、いろんなものが削ぎ落とされた今の自分の感覚は
自分の真ん中にある価値基準としてこの先すごく有効的なものじゃないかと思い始めてる.


そんで、どうかこれを日本に帰っても守りたいなあ…
って今思ってる.


でもほんとは、
簡単でないことは容易に想像できるから、
帰国を控えてそわそわしてないはずはないのやけどね。


きっといつかここを読み返して、この感覚を忘れそうな時にも思い出してくれる自分がいることを期待して、
あんまり色々心配せずに、今を今の私らしく過ごそうと思う…


てなわけで、9月4日に関西に帰ります.
ラオスに寄る企画は残念ながら延期となり、
予定より早く帰国することになった.


観光も買い物もほとんどしてないけど、
おいしいものをいっぱい食べて(痩せそうにもない…)、
大好きな人たちとの時間をたっぷり味わって、
帰ってからも勉強を継続できるようにモチベーションを暖めながら、
残りの時間を過ごそうと思う.