東日本大震災・名取の報告(4/1〜2)




4月2日 陸前高田市

4月2日 学校給食センター陸前高田市の本部になっています


ニッコーは陸前高田で医療以外にも色々と支援事業を実施し、そのためスタッフや専門家のほとんどは陸前高田市に入っています。私も一度陸前高田での活動を見ておいたらいい、ということで4月1日、陸前高田へ向いました。名取の隣の仙台空港インターから一関インターまで高速にのり、そこからは下道です。ノンストップで約3時間。急カーブのトンネルが続き、運転するには大変疲れる道でした。到着する頃には暗くなっていましたが、まだまだ海は先という地点でも津波の爪痕があり、翌朝太陽が昇った後に見る景色を思うと怖くなりました。


翌朝一番で、毎朝行われる支援に入っている医師のいる医療団体によるミーティングに行きました。想像していたよりもずっと大勢の支援者が集まっていて驚きました。ミーティングが終わり次第、保育所と避難所での訪問診療についていき、午後からは物資を持って避難所を数カ所回りました。一つの学校の体育館で私たちの対応をしてくださった職員さんは、私たちに疲労を訴えました。他にいないから自分が休むわけにはいかないけれど、もうくたくただと。そう言いながらも、私たちに何度も何度もありがとうございますとお礼の言葉を繰り返されました。次の公民館では玄関でおばあちゃんたちが食事の準備をしていました。そのうちのお一人が、水の中泳いだんよ、と笑顔まじりに話されていました。なんでこんなことになったんだろう…と、頑張っても頑張っても休むことが許されない厳しい現実に落ち込みました。そして、こんな時でも笑ってありがとうと言える人たちに、感動しました。


市庁舎も駅も何もかもそっくり津波に飲まれた陸前高田の街の姿にはやはりショックでした。いつか街が復元しても元の姿とはまるで違うだろうと思うと、ものすごく寂しい気持ちになります。そして、こんなことが三陸沿いのたくさんの美しい街で起きたなんて、本当に残念なことです。


一日の活動を終えてから、陸前高田を出て名取へ向いました。夜遅く、名取インターを下り、クリニックに向う途中で検問に合いました。警察は、ここのところ不審者が多いので、と話しました。おじちゃんの話していた通り、やはり盗難が多発していたのだろうと思います。