旅② 母と「ドナウよ、静かに流れよ」と…

モンゴルから帰国後あんまりうまく会話できない母親との旅。
行き先を色々迷った結果、私だけ行ったことのあるウィーンとブダペストに決めた事もあって、何かと頼られ、それにきちんと返すことでいっぱいいっぱい。私の言動が母親の中でひっかかってるのがわかるけど、どうもできない勝手な娘。

今回旅中に読んだ大崎善生さんのノンフィクション「ドナウよ、静かに流れよ」。
19歳の女子大生が2001年ウィーンでドナウ運河に身を投げ心中。
国籍、父親の不倫、母親のヒステリックな性格、金銭面では恵まれた環境、それらに振り回されるような進路、友人の死、ルーマニアという留学先、そこで出会うチバという男、宗教、愛…彼女の死に影響したのは、大崎さんが知ることのできた(事実かは不明やけど真実とはいえる)これらの要素以外にもまだあったのかもしれない。どっちにしろ様々な要素が重なって死へ向かった。
読んでる間中私は(おそらく大崎さんも)彼女の父親、母親、友人たち、恋人の立場なら…と思いながら読み進める。

私が彼女の親なら…なんとしてでももっと早くに現地へ向かったろう。そうしてたら彼女の死を止めれたんやないか…と。そう思ったのはザルツブルグからブダペストへ向かってた時。食堂車でパプリカチキンを食べながら、母親にこれらを話してみた。
「めいちゃんがそう思ったことにほっとしたわ」と返ってきて。ちょっと話したこと後悔した。

ほんとは続きは帰りの飛行機にとっておこうと思ってたのに、彼女が最後に過ごしたウィーンにいる間に全部読んでしまいたくなった。どうやら身を投げたのは市内リンク沿いのドナウ運河のSchweden橋…ということで翌日朝一番で行ってみた。

地図で見るところ以下がSchweden橋
 

本の中では橋の上にマリア像があるというけど、地図上それはおそらくMarien橋
 

遺書をすべりこませたというカメリータ教会を探したけど不明…でもSchweden橋から北に200mほどのとこに一つ教会があった
 

最後まで読んで、母親に「やっぱり彼女はその時死を選んだと思う」と伝えた。母親も帰りの飛行機で全部読んで…それでお互いの感想と今回の旅の感想を話す。

この旅行は私と会話するいい機会やと思ってたという。自分が一番大切…と話した私のことが不安で仕方がないらしい。言葉が足りなかったと返して、説明を付け足した。

母親が思っているであろうこと、不安に感じているその意味、大体はわかるよ(母親に言わせるとわかってる気になってるだけらしいけど)。母親と似てるとこやっぱりあるし、母親とか関係なしにえいこさんやからわかるところもあるし、今の歳になったからこそかもやけど、でもとにかくわかる。

で、本音は、ちょっとは優しく見守っててよ…で、きっとこれって歳関係なしに子どもが親に対して求めるものやないかなぁと思う(もちろん人によるけど)。

で、この本を読んで、でも母さんだって娘のことで目を伏せてしまいたいことがあるよね…て思った。

100%な親がどんなだかとかはわかんないけど、親が子に与える影響の中には、子の意思を変えるほどのものもあれば、そこに達さないものもあると思う。でも、親は子のために、その時BESTと思う言動を選ぶべきなんやろうと。親が自分のために胸をいっぱいいっぱいにしてるてことが子に(運良く)伝わったらそれ自体大きな影響になるやろうし、親自身が後で悔やまないためにもそうするべきなんやろうと思う。

親だって子より何年か多く生きたってだけで、人を育てていくことは常に初体験なんやし、よくない結果を生む影響を与えることだって普通なことかもしれない…。100%な親なんてほとんどいないかもやけど、いい親子関係にある人はいると思う。そっちの方がよっぽど大切やと思った。



私と同い年のカミは19歳の時死を選んだ。死は選ばなかったものの、死にたい…と思わず言ってしまうことはよくあった。言ったらあかんて思ってても今でもたまに言ってしまう時あるけど、でもこんなふうに書けるとこまでは24の今とりあえずきてるのよね。ほんの少し違った要素がカミに入って、少し死を先延ばしにして、また違った要素に巡り合って、また少し先延ばしにして…ってなってたら今まだ生きてたかもしれないんやないかと思うと、痛くなる。